チェコの英雄たちゆかりの場所をめぐる!激動の時代の熱を残す胸アツスポット5選【リレーブログ⑤】

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こんにちは。チェコ観光アンバサダーの篠田茉椰です。2017年から2018年の1年間、首都プラハにあるカレル大学の政治学部に留学していました。

第5回目となる本ブログでは、チェコに長期滞在していた政治学専攻の学生がおすすめする『ちょっと勉強になる歴史ロマンあふれるスポット』をご紹介します。コアな場所ですが、歴史好きにはたまらないアツい場所がチェコにはたくさんあります。激動の時代を乗り越えた場所を訪れた後は、定番の観光地も少し違った風に見えるかも知れません。

今回扱う出来事は大きく2つ、第二次世界大戦時に起きたナチス高官暗殺事件いわゆる「エンスラポイド作戦」とプラハの春直後に自由を求める抗議のためカレル大学生が自らを焼いた事件です。

美しい姿で数々の観光客を魅了するチェコですが、その裏に眠る厳しい戦いの歴史を学んでこそ感慨が深まるのではないでしょうか。

悲劇を生んだ、ナチス高官暗殺『エンスラポイド作戦』ゆかりの場所3選

第二次世界大戦時チェコは、ナチスの占領下でした。チェコの政府機能はイギリスに移り、チェコの自治権を取り戻すためナチス高官の暗殺作戦を計画しました。それがエンスラポイド作戦(類人猿作戦)です。

ターゲットはナチスの実質的なナンバー3のラインハルト・ハインリヒ。実行者は亡命政府からパラシュートでチェコ国内に降り立ったチェコ人とスロバキア人の兵士数名です。彼らは祖国を自分たちの手に取り戻すという使命のもと、チェコのレジスタンスと協力して作戦を遂行していきます。 結果的にこの暗殺計画は意図しない形で成功し、ハインリヒは死亡します。

しかし、これが2つの大きな悲劇を生むことになりました。

①国立ハイドリヒ事件の英雄記念館(Národní památník hrdinů heydrichiády)

国立ハイドリヒ事件の英雄記念館の内部。聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の地下クリプト

1つ目の悲劇は首都プラハ内で起こりました。自身の腹心を暗殺されたヒトラーの怒りは凄まじく、凄惨な犯人探しを行ったのです。当時のチェコは保護領とされていましたが、その領内全域で13,000人以上のチェコ人が逮捕され、2,000人近くの無関係な人が処刑されるかナチスの尋問中に命を落としました。

そんな中暗殺実行部隊のメンバーは、プラハ市内の協力者に匿われて潜伏していましたが、あるメンバーの裏切りによって居場所がナチスにばれてしまいます。そこで逃げ込んだのが現在のプラハ1区にある聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂でした。この教会の地下にある部屋が「国立ハイドリヒ事件の英雄記念館」として彼らを讃える博物館になっています。この部屋は、まさに追い詰められた実行部隊のメンバーが自決した場所なのです。

ジョセフ・ガブチェクやヤン・クビシュなどの実行犯を追悼する碑。クリプト内
聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の内部。この地下にクリプトがある

教会の中はこのように美しくなっています。しかし当時は、約360人のナチスSS隊員(親衛隊)と数人の実行部隊のメンバーが銃撃戦を繰り広げました。追い詰められたメンバーは地下に逃げ込み応戦しますが、半地下部分の窓から水を入れられ逃げ場所がなくなってしまったのです。

その半地下の窓は現在も銃痕とともに写真のように保存され、記念碑が建てられています。

聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の外壁。丈夫に見えるのは実行メンバーを讃える碑。
下の窓はナチスSS隊がホースで水を流し込むのに使う。周囲には弾痕あり

祖国のために命を賭して作戦に当たったチェコ・スロバキアの青年たちは、揺るぎない信念とともに後世に英雄として名を残しこの教会で倒れました。現在のチェコの美しい姿の裏には、勇気ある若者たちの尊い犠牲が静かに横たわっているのです。

臨場感あふれるこの記念館は、地下室をできる限り当時のまま残しています。壁や天井など、当時の雰囲気を静かに語るオススメスポットです。

②リディッツェ記念館

リディッツェ記念館の一部の建物(出典:https://www.lidice-memorial.cz/en/)

2つ目のエンスラポイド作戦に関して外せないスポットは、リディッツェ村です。この村、現在は消滅してしまった村なのです。暗殺実行犯の逮捕に躍起になったナチスが、勘違いからプラハ郊外にある小さな村、リディッツェを標的に大報復を行なったのです。

その結果として、村の男性は全員処刑され、女性や子供は強制収容所に送られました。終戦後生き延びられたのは女性153人と子供17人だけで、人がいなくなってしまった村はナチスSS隊によってすっかり焼き尽くされてしまったのです。

現在は村があった場所には芝が生え、広大な土地が広がっています。いくつかの記念碑と小さな博物館がありますが、犠牲になった子供達を悼んだ像は心に迫るものがあります。

大虐殺で犠牲になった子供たちを追悼したモニュメント(提供:村瀬泰菜)

現在は新しいリディッツェ村が再建されています。プラハ・ズリーチン(Zličín)からは直通のバスが出ており、片道25分ほどで訪れることができます。

③エンスラポイド作戦記念碑(Památník Operace Anthropoid)

プラハ8区にある巨大な記念碑。碑の上部には手を広げた3人の異なる装いの男性が立っている。

ここはハインリヒが暗殺実行メンバーに襲撃された場所です。プラハの北東部に位置するこの記念碑は、実行メンバーを讃えると同時に自由を守るように手を広げた3人の男性がチェコの自由を守るモチーフになっています。エンスラポイド作戦の詳細を紹介する案内板も立っています。

当時、急なへアピンカーブだったこの場所は、プラハ郊外からプラハ城に車で通勤していたハイドリヒを狙う絶好の場所でした。実行メンバーたちは計画通りに行動を起こしましたが、機材の不具合などでその場で致命傷を負わせることができませんでした。しかし、後日ここで受けた傷が元でハイドリヒは亡くなりました。

現在はかなり大きな道路になって当時の面影は見られませんが、この大きな記念碑とその隣にたなびくチェコ国旗はチェコ人の自由や自治に対する強い思いが込められているように感じます。

トラムやバスの駅も近くにあるため、アクセスも簡単です。

エンスラポイド作戦の地理的詳細を記した地図
(山崎雅弘2019年『沈黙の子供たち 軍はなぜ市民を大量虐殺したか』160頁 株式会社晶文社)

チェコ解放の星になった『ヤン・パラフ』ゆかりの場所2選

チェコの英雄は何人かいますが、若き『ヤン・パラフ』はその中でも際立って人々から敬愛される人物でしょう。祖国への深い愛と社会に対する危機感を胸に自身を焼いたパラフは、チェコの歴史に大きな影響を与えた人物として讃えられています。プラハの旧市街に位置するヤン・パラフ広場を始め、彼にゆかりのある施設やモニュメントが数多く設置されています。

当時の熱気を感じられるヤン・パラフゆかりの場所を、エピソードとともにご紹介します。

①ヤン・パラフとヤン・ザジックの記念碑(Památník Jana Palacha a Jana Zajíce)

ラハの中心に位置するヴァーツラフ広場の入り口に位置するこの記念碑は、ともすれば気づかずに通り過ぎてしまうほどひっそりと横たわっています。地面に埋め込まれたうねる十字架の形をしたこの記念碑は、まさにヤン・パラフが焼身自殺を図った場所を示しています。

ヴァーツラフ広場の入り口のヤン・パラフとヤン・ザジックの記念碑
(出典:https://www.atlasobscura.com/places/jan-palach-memorial)

これほど小さな記念碑ですが、激動の歴史と青年の強い思いを力強く伝えています。どうしてヤン・パラフが焼身自殺をしなければならなかったのでしょうか。

第二次世界大戦後、チェコ・スロバキアは共産主義体制になりました。ナチスから解放されたのち、チェコ・スロバキア人は人民社会主義を投票によって選択します。

ところが、人々が思い描いたような平等な世界は実現しませんでした。ソ連の影響から逃れることはできず、経済の低迷は著しい、監視社会における社会関係の希薄さも民衆を生きづらくさせていきました。長年にわたり不満を募らせた民衆は、「人の顔をした共産主義」を求めて立ち上がります。それが1968年の「プラハの春」です。残念ながら民衆の訴えはソ連から派遣された圧倒的な軍事力の前に屈指してしまいます。

それでも社会を思い自分たちの自由を求める気持ちを下火にしてはならないと、当時カレル大学生だったヤン・パラフは行動に出るのです。1969年の1月16日、プラハのヴァーツラフ広場で自ら油をかぶり焼身自殺を図り、彼の友ヤン・ザイックも同年2月に同様の形の抗議を行い命を落としました。尊い青年の命が奪われたことは悲劇ですが、彼らが灯した火が、チェコ・スロバキア人の心に消えることのない自由への渇望と祖国への愛を灯す結果になります。

のちの1989年11月17日、チェコ・スロバキアは民衆の平和的な行進に端を発した「ビロード革命」によって共産主義打倒に成功します。この時もヤン・パラフは象徴的な役割を果たし、英雄として人々を団結させました。

この記念碑は地下鉄Cラインの「Museum」駅からすぐの場所にあります。国立博物館に足を運ぶ際に訪れてみてはいかがでしょう。

②ビロード革命記念碑(Památník sametové revoluce)

9つのVサインのブロンズ像。自由を求めるビロード革命が始まった日にちが刻まれている。
(出典:https://www.prague-guide.co.uk/velvet-revolution-memorial/)

ヴァーツラフ広場から少し川沿いに移動すると、国立通り(Národní třída)というトラムと地下鉄の駅が現れます。そこは1989年のヴィロード革命の際(共産主義が終了するきっかけとなったデモ)に、学生たちが中心になってデモを本格化させた場所として、小さな博物館と学生たちがピースサインをする手をモチーフとした記念碑が置かれています。

毎年11月17日の自由・民主主義闘争記念日には、赤いろうそくやチェコの国旗に使われている赤・青・白のリボンや花が道にはみ出して飾られます。

毎年11月17日付近になると所狭しと並べられるろうそくと花束。冬に向かう時期だがこの一角はあたたかい

チェコ渡航のおすすめシーズンは?

ほりいさんからいただきましたお題『チェコ渡航におすすめのシーズンは?』にお答えします。結論、夏にも冬にもそれぞれ違った魅力があるので、この季節が一番!という風には断言できません。そのため、特定のイベントがある時期に合わせて訪れてみるといいかもしれません。

例えば、ビロード革命の熱気とチェコ人の祖国愛を体感するためには11月17日の自由・民主主義闘争記念日に合わせて、また自由のために戦ったヤン・パラフとその友達を悼む追悼式典やその日の街の様子を感じたければ1月16日付近、エンスラポイド事件に関するセレモニーやイベントに興味があれば暗殺が実行された5月27日や5月8日の戦勝記念日に訪れるといいでしょう。

一点だけ注意すべきは、祝日にはさまざまなお店が閉まっていることです。街の特別な顔がみられるということは、裏を返せば日常的な姿を見ることができないということです。少し長めに滞在し、普段の街の様子も体験していただけると尚良いでしょう!

次回担当されるNaoさんへのお題は「留学生活のTips」です!
お楽しみに!

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この記事を書いた人

篠田茉椰

篠田茉椰

プラハにあるカレル大学で1年間留学生として国際関係を学んでいました。現在は国際関係専攻でスイスの大学院に通っています。プラハに暮らしていた1年は、美味しいビールとロマンあふれる歴史情緒な街並みに囲まれて本当に幸せでした。厳しい冬の寒さも雪解けの季節も、プラハの街はどの季節も美しく、四季折々の顔を見せてくれました。将来はプラハで就業したいと考えており、目下就職活動中です!好きなチェコビールはプラハ醸造のStaropramen(スタロプラメン)、好きなチェコ語はCocka (コチュカ・猫という意)です。チェコの歴史やそれを感じられるスポットに興味があり、今見ているチェコの景色の背景を学べる旅が好きです!