チェコのコミック研究家が見た日本―トマーシュ・プロクーペク

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チェコセンターで2018年に開催した展覧会「チェコ・コミックの100年」、そして昨年の「ありのフェルダとその生みの親オンドジェイ・セコラ」。両方でキュレーターを務めたトマーシュ・プロクーペク氏はチェコのコミック研究家です。
コミック雑誌の編集を手掛けるなど、チェコ・コミックならお任せ!のプロクーペク氏が、両展覧会の際に来日して感じたことを文章にしてくださいました。本文にもコミック史の講義をされた際のエピソードがありますが、プロクーペク氏の講演はいつも大好評。次回はいつ日本に来てくれるのか…待ち遠しいですね!

トマーシュ・プロクーペク氏(「ありのフェルダとその生みの親オンドジェイ・セコラ」展オープニングイベントにて)

僕と日本の関係は今や大きく進展したといっても良いだろう。子どもの頃の僕はスポーツの才能がかけらもなく、柔道や空手を—周りの友人たちと違って—習ったことがなかった。武道の達人が冒険をするような本や映画を探してみることさえしなかった。代わりに僕は、その年齢の子どもにしては少し変わったものに惹かれていた―神話や外国語の文字、それにボードゲームが大好きだったのだ。だから、12歳のときに祖父の大きな本棚で『日本について 99のこと』という本を見つけたとき、それはもう嬉しかった。その本を読んで僕は色々なことを知った。日本の神話、文字、囲碁や将棋のこと…(忍者の秘密について書かれた文章が当時の僕を虜にしたことは言うまでもない)。学校の長期休暇の間中ずっと、僕はその本に夢中だった。熱心な読書の甲斐あって、僕は両親を説得し、大きく「Go-Gomoku-Ninuki」と書かれたゲームセット(囲碁、五目並べ、二抜き連珠の3種類のボードゲームができる、碁盤と碁石のセット)を買ってもらうことに成功した。しかし囲碁はルールが難しく、今考えると当たり前だが、誰も一緒に遊ぼうとしない。仕方なく僕は囲碁以外の2つのゲームで遊んだ。

小さいころからコミックやアニメに目がなかった僕は、日本の作品にももちろん強い関心があった―子どもの頃は共産主義が国を支配していて、日本のマンガやアニメを楽しむことができなかったからだ。その後も日本のポップカルチャーに触れたことはあまりなかった。2000年頃に宮崎駿監督を知り、作品に魅了されたものの、当時は他にもさまざまなことに興味があって、宮崎監督の周辺の作家の作品まで見てみる余裕はなかった。そのほか、滞在前の日本についてのエピソードとして書き加えることといったら、村上春樹の小説をいくつか読んだことくらいだろう。

2018年とその翌年の合わせて2回、チェコセンター東京の協力のもとで日本を訪れた。まるで別の惑星へ旅立ったような心地がした。それまでにも一度ヨーロッパを離れ、アメリカに行ったことがあったが、アジアと比べてアメリカはチェコと文化的に近いので、本当の意味での異国情緒を感じることはなかった。東京を見てみる前は、何が待ち受けているのか想像もつかず、つい『ブレードランナー』に出てくるような、訳のわからない、すぐに迷ってしまいそうな近未来都市を想像してしまった。しかしそのあとすぐに、東京はニューヨークやパリとさほど変わらない、とても親しみやすい大都市だとわかった。最初のころは、いたるところで目に飛び込んでくる日本語の看板の意味はおろか読み方さえわからず、慣れる必要があったけれど、そのうちにすぐ、どこにでも英語の案内があることを知った。
僕の脳は潜在的にヨーロッパを中心とした考え方をしているので、東京の地下鉄で新しい気づきを得ることとなった。というのも、東京の路線図は確実に世界で最も複雑だが、それにもかかわらず、たとえばブダペストの地下鉄などと比べるとはるかに簡単に利用することができるのだ。ブダペストにはほんの数本しか路線がないし、言葉にはアルファベットが使われているのに、ハンガリー語のできないチェコ人にとって地下鉄での移動は本当に難しい。
それから、たとえば東京のいたるところに無料の公共トイレがあって、どこも完璧な清潔さを保っているという事実が、先進国の文化とはどのようなものなのかを表していた。

表面的だしオリジナリティーに欠けるけれど、最初に訪れたときから僕が日本にほれ込んでしまったそもそもの理由は、言うまでもなく、食である。というのも、日本に来てすぐに、現地で手に入る食べものはどれをとってもありえないほど美味しいということに気付いたのだ。加えて、値段にもかなり驚いた。僕の故郷のブルノでは、日本料理店コイシは普通の給料をもらっている人が足繁く通えるような場所ではない、高級レストランといった存在であるのに対して、数えきれないほどある東京のレストランや居酒屋は、文句なしの料理を、中欧から来た僕でさえお財布に優しいと思えるような値段で提供してくれる。だから僕は、二度の日本滞在の間、寿司や刺身、ラーメン、カレーライス、餃子などいろいろな食べものを積極的に試してみた。よく、ケースに並べられた、プラスチックでできたリアルな料理の模型を見ながら食べたいものを選んでいたけれど、あれは何と呼ぶものなのか今でもわからない。
濃いスープに入っている長めの麺など、いくつか箸の使いやすい料理があった(ただしもう片方の手には必ずフォークを持たなければならない)。自分の箸の使い方にかなり満足していたのだけれど、ある日、ラーメン屋さんの店主が―僕の食べ方を少しの間観察してから―優しく微笑みながら、はねたスープで服を汚さないように紙ナプキンを差し出してくれた。

僕が日本に招かれたのは、2つの展覧会のキュレーターを務めたからだ。一つ目はチェコのコミックについての展示で、もうひとつはイラストレーターであり作家でもあったオンドジェイ・セコラの展覧会だった。日本の視覚的なポップカルチャーと比べると、チェコのコミックやイラストの文化はなんだかゴジラの隣に置かれた盆栽のように小さな感じがする。日本人が展示の内容に興味を持ってくれるか不安だったけれど、最初の展覧会のオープニングイベントで、ギャラリーを訪れるお客さんたちの強い興味に驚かされた。
なかでもチェコのコミック史についての講義が印象に残っている。チェコでは、テーマが面白かったとしても聞いている人たちは控えめで、講義のあとに活発な質疑応答が行われることは本当にまれだし、僕はそういう状況に慣れていた。でも東京では、僕が話を終えると質問の嵐で、チェコのコミックシーンの動向について二次的な知識に関することをたくさん聞かれた。プレゼンテーターとして、これ以上何を望めるだろうか。

「チェコ・コミックの100年」オープニング記念講演会

二度の東京滞在を経て、少なくとも以前よりは日本のマンガを正確にイメージできるようになった。マンガ専門店への最初の「冒険」は、もちろん大失敗―気がつくと、「気になったものをめくろう」と思えば2週間は優に過ぎてしまうような量のマンガが山積みになっている4階建ての店のなかにいた。
2018年に日本に来たときは、マンガ関連という理由で手塚治虫の伝記の改訂版と、『COM』誌を一冊買って帰った。それから二度目の来日までの間、僕はどのマンガがいちばん読まれているのか、そして読みごたえがあるのか下調べをして、2019年に来日したときにはスーツケースを古いマンガでいっぱいにして帰った。子どもの頃の情熱が再燃して、木でできたきれいな将棋盤と駒も手に入れた。僕と一緒に将棋を指してくれる友達は今回も(今のところ!)見つけることができていない。

日本への滞在を短い言葉でまとめるなら、初めての東京滞在は偶然のようなもので、夢が叶った、というふうに思ったわけではなかった。だが二度目の滞在を終えた今では、「日出ずる国」をもう一度だけでも訪れたいと夢見ている。

(翻訳:藤井萌)

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チェコセンター東京

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