翻訳コンテスト文学セミナー

スザンナ・ロート翻訳コンテスト2021 セミナー参加記

  • ブックマーク

皆さんはチェコの文学は読んだことがあるでしょうか?チャペックやフラバル、クンデラなどの文豪はもちろんですが、チェコセンターでは現代作家の作品もご紹介しています。その活動の一環として、チェコセンターでは毎年「スザンナ・ロート翻訳コンテスト」を開催しています。近年発行されたチェコの若手作家の文学作品を各国の参加者が翻訳する国際的なイベントで、国ごとに最優秀賞を選出します。

今回は、「スザンナ・ロート翻訳コンテスト」の2021年大会で最優秀賞を受賞した佐藤徳子さんに、文学セミナーへの渡航について寄稿いただきました。

◆ ◆ ◆

 

スザンナ・ロート翻訳コンテスト2021
セミナー参加記

佐藤 徳子

2022年4月、3年ぶりにプラハを訪れる機会を頂いた。昨年応募したスザンナ・ロート翻訳コンテストで最優秀賞に選んで頂き、その副賞として、チェコで開催される翻訳セミナーに参加できることになったのだ。

スザンナ・ロート翻訳コンテストは、世界各国のチェコセンターやチェコ大使館で同時開催されている、40歳までの若手翻訳者のためのコンテストだ。コンテストの存在は創設当初から知っていたけれど、「出産時期と重なった」「引っ越しと重なった」「幼児の世話で余裕がない」等の言い訳のもと、これまでに訳文を応募できたことは一度もなかった。それでも諦めきれなかった私は、年齢制限ぎりぎりの昨年、最後のチャンスにしがみついたのだった。

 

受賞者向けのセミナーは、例年、受賞者の発表があった直後の夏に行われているそうだが、新型コロナの影響で、年をまたいで春に行われることになった。続くコロナ禍にウクライナ情勢も加わり、渡航準備を進めながらも、本当に行けるのだろうかとずっと半信半疑だった。ようやく実感が湧いてきたのは、家を出たときでも伊丹空港で飛行機に乗ったときでもなく、羽田空港で国際線のチェックインを済ませたときだった。

 

到着日の晩には顔合わせを兼ねた夕食会があり、翌日から3日間のプログラムが始まった。2021年に受賞した14か国の翻訳者のうち、10名が集まることができた。仕事の都合で来られなかった人のほか、当初は参加予定だったウクライナとロシアの翻訳者は参加が叶わず、身近なところでも戦争の影響を感じた。

 

初日は終日、プラハ市立図書館で翻訳セミナーが行われた。前半はプロの翻訳家である講師の先生とともに、コンテストの課題文を振り返った。課題文はすべての開催国で共通で(2021年度は、レンカ・エルベ著『Uranova』Argo、2020年、39~55ページ)、「著者の生き生きとした表現スタイルを訳文にどう反映させるか」「登場人物の話す片言英語(という体で、わざと片言のチェコ語で書かれている箇所)はどのように翻訳したか」といったディスカッションはたいへん興味深く、勉強になった。

後半には、やはりプロの翻訳家である別の講師の先生による、翻訳者の実務的な部分をテーマとしたプレゼンテーションがあり、話は出版翻訳のいろはから、翻訳者としての姿勢といった点にまで及んだ。

翻訳セミナーの様子
翻訳セミナーの様子(©Pavel Růžička, České literární centrum)

 

翌日は座学の一日目とは打って変わり、著者のレンカ・エルベさんも一緒に、『Uranova』の作品の舞台、カルロヴィ・ヴァリとヤーヒモフを訪れた。

『Uranova』の舞台、ヤーヒモフの町を訪問
『Uranova』の舞台、ヤーヒモフの町を訪問(©Noriko Sato)

『Uranova』では、主人公である英国人ヘンリーは、まだ20代前半だった1968年、チェコスロヴァキアに父方のルーツを持つ婚約者アンジェラをヤーヒモフの地盤沈下事故で失い、後に別の女性と結婚するも、トラウマから解放されないまま生きている。事故から31年、民主化からも10年が過ぎた1999年、ヘンリーは精神科の主治医の勧めで回想療法にチャレンジするべく、妻とともにヤーヒモフを訪れる。ついに訪れたヤーヒモフの地でヘンリーを待ち受けていたのは、由緒ある温泉ホテル、奇妙な人々、ヤーヒモフ鉱山の歴史と地下に秘められた謎、そして誰が建てたのかわからないアンジェラの墓……。

コンテストをきっかけにこの作品を読み、いつかヤーヒモフを訪れてみようと思っていたので、こんなに早くに、しかも著者のレンカさんや作品を読んだ人たちと一緒に訪問できたことが嬉しかった。

今も残されているヤーヒモフの坑道
今も残されているヤーヒモフの坑道(©Noriko Sato)

 

最終日には、プラハ国立美術館を学芸員の方の解説付きで見学し、ガイドの方の案内で「文学」をテーマにプラハの旧市街地を散策した。全プログラムの終了後には、チェコセンター、チェコ文学センターの方たちや他の参加者たちと、名残を惜しんで、時間の許す限り話をした。

プラハ文学散策
プラハ文学散策(©Noriko Sato)

 

私は大学一年生のときにチェコ語の勉強を始め、今ではチェコとの付き合いは人生の半分以上となった。26歳から31歳までをチェコで過ごし、チェコを離れた後、私にとってチェコとは、チェコ語とは何だったのだろうとたびたび考えた。私自身が自分の人生の主役であった時代はチェコ生活の終了とともに終わり、別の人間として生きていかなくてはならないかのようにさえ感じていた。産業翻訳という形でチェコ語と関わり続けてきたのは、私にとってチェコ語がアイデンティティの最後の砦だったからかもしれない。

今回の渡航で、このコンテストの開催の意味を改めて考えた。私のチェコ語はこれで何かを成し遂げたわけではなく、ここが次のステップへのスタートラインだ。ほかの国の翻訳者仲間と繋がりができ、親睦を深めることができたことも大きな収穫だった。さまざまな事情や想いを抱える人がいた。私も仲間の一人なのだと、そう思えた。細々と守り続けてきた自分のアイデンティティを、私はようやく肯定できるような気がしている。

 

最後に、このような貴重な機会を与えて頂いたこと、コンテストを開催し、審査し、セミナーを企画手配してくださった関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。

セミナー主催者と参加者で集合写真
セミナー主催者と参加者で集合写真(©Pavel Růžička, České literární centrum)

 

◆ ◆ ◆

 

寄稿者プロフィール:

佐藤徳子
チェコ語翻訳者。2004年東京外国語大学卒業、チェコ語専攻。2006年6月から2012年1月までプラハに在住し、日系企業2社で就業(旅行業、保険代理業)。帰国後、2012年よりフリーランスでチェコ語の産業翻訳に従事。東京都出身。

  • ブックマーク

この記事を書いた人

チェコセンター東京

チェコセンターは世界3大陸26都市においてチェコ文化の普及につとめているチェコ外務省の外郭団体です。2006年10月にアジアで第1号のチェコセンターとして、駐日チェコ共和国大使館内にチェコセンター東京支局がオープンしました。

以来、絵画、写真、ガラス工芸、デザインなどの作品の展示や、映画上映会、文学、音楽、経済などのイベントを開催しチェコ文化を紹介するほか、チェコ語教室も開講しています。また、その他のチェコ文化関連イベントへの助言、協力も行っています。

イベント情報はニュースレターでも配信していますので、チェコ文化にご興味のある方はぜひウェブサイトからご登録ください。お待ちしております!

担当カテゴリ:文化と歴史を学ぶ