<エッセイ>ペシミストの幸福──カレル・チャペックについて

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チェコの作家ときいて、一番にカレル・チャペック(1890-1938)を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。作家・劇作家・ジャーナリスト・エッセイストと多岐にわたって活動したカレル・チャペックの作品は、これまでに日本でも多数邦訳されています。「山椒魚戦争」「長い長いお医者さんの話」「園芸家の一年」などなど…。また、戯曲「ロボット(R.U.R)」において初めて「ロボット」という言葉を生み出した人物としても知られています。

カレル・チャペック(1930年代)
写真提供:カレルチャペック記念館(Památník Karla Čapka)

今回は、チェコと中東欧の文学を研究している須藤輝彦さんにチャペックについてのエッセイを寄稿いただきましたのでご紹介いたします。

 

ペシミストの幸福──カレル・チャペックについて

須藤輝彦

2015年、チェコ留学中の春。プラハのヴェレトゥルジュニー宮殿にアルフォンス・ムハ(ミュシャ)の『スラヴ叙事詩』を観に行ったついでに、併設された近現代アートの展示へ足を運んだとき、僕は思いがけず、ある言葉にぶつかった。いま思えば、それは僕にとってもっとも直接的で、強い印象を残したチャペック体験だった。彼の言葉は、チェコ現代美術のフロアの壁面に、(たしか英語とチェコ語で)何気なく書かれていた。

 

幸福とは人生の大きさに由来するのではなく、小さくて心が洗われるような物事──大切に育まれ、目を凝らして見つけ出さなければならないような物事──からやって来るのだ。ついでに言えば、幸福というものが、つねに明るく至福に満ちているとは限らない。私がほとんど確信しているのは、幸福は芸術作品のように、偉大で悲劇的になり得るということだ。

 

この文章を読んで、僕は立ち止まった。おそらく、数分ほど。ビジュアル・アートの展示であるにもかかわらず、そんなふうに「ただの」文字列を前に立ち止まっていたのは、フロアでも僕くらいだったろう。一緒にいた友人も不思議がっていたはずだ。しかし、このわずか数行のせいで、僕のチャペック観、そして幸福観は、つよく揺さぶられた。

 

日本でも、プラハでも、カレル・チャペックの作品は読んでいた。いわゆる代表作は、ほとんど。『山椒魚戦争』の衝撃はとにかく大きかったし、短篇の巧みさにも舌を巻いた。だがそれでも、僕のなかでチャペックは、輪郭のはっきりしない、捉えどころのない作家として、もっと言えばどこか納得いかない存在として記憶されていた。戯曲にはじまり、小説、詩の翻訳、旅行記、童話、ジャーナリズムなど、関わったほとんどの分野で多大な功績を残した散文作家。おそらくその多面性のせいだろう、僕はチャペックという存在をどのように評価すればよいのか、ずっとよくわからなかった。

だけどヴェレトゥルジュニー宮殿の文章のなかには、人間チャペックの本質が垣間見える気がした。この文章を読んで初めて、僕はチャペックをいくらか理解したように思った。

なまくらだった僕の目を開かせてくれたのは、とくに引用の後半部だった。幸福というものが、つねにいわゆる「ハッピー」な状態だと考えるとすれば、それは間違いだ。幸福──とりわけ「偉大な」幸福──には、じつは悲劇的な側面がつきものなのだ。チャペックはそう語りかけていた。

悲劇的。幸福とおよそかけ離れているはずのこの言葉が意味するのは、カレル・チャペックという作家が、自分ではいろんなところで否定していても、やはり本質的にはきわめて悲観的、ペシミスティックな人間だったということだろう。彼が人類の未来について悲観的なヴィジョンをもっていたことは疑いようがない。しかしそれでも、彼はどこかに希望の種を見つけようとした。ペシミズム、あるいはペシミストの幸福。これが僕にとっての、チャペックの鍵になった。

 

チャペックにとってのペシミズムはしかし、みずから進んで選びとった性質のものではないはずだ。だれも喜んでペシミストになりはしない。それは時代に、言うなれば背負わされたものだった。

1890年生まれのカレル・チャペックは、第一次大戦の勃発、ファシズムの台頭、さらにはミュンヘン会談に至って母国からズデーデン地方が奪われていくさまを目の当たりにした。鋭敏な知性と感性をもつ知識人であり、それを世界的な芸術作品へと昇華させる才能をも兼ねそなえる、まさに「小さな国の大きな作家」だったチャペック。そんな彼には、国の未来、そしてそれを覆いつくす世界情勢が孕む暗闇を、楽観的に受けとることなど到底できなった。だからその人生の大部分を、素朴で個人的な、日常レベルの「人間への信頼」と、世界規模で破滅へと猛進していく「人類への絶望」とのあいだに、深い断絶を抱えて生きなければならなかった。言葉をかえればチャペックは、ひとりの生活者としての自己と、国を背負い、その未来を指し示す指導的な知識人としての自己のあいだの分裂を生きた。

この断絶・分裂は、たとえば『園芸家の一年』と『虫の生活から』を比べてみれば、だれの目にも明らかだろう。どちらも人間を「自然」との関わりのなかで描いた作品でありながら、前者においては日々の暮らしが温かで細やかな眼差しのもとにスケッチされているのに対し、後者では生まれてくるのを心待ちにしていた「サナギ」、楽しく暮らす「チョウチョウ」や「コオロギ」、挙句の果てには作中唯一の人間である「ホームレス」までもが、なんの救いもないまま、あっさりと死んでいく。

 

チャペックより一回りとすこし年下だが、ほぼ同時代に戦争の悲劇を生きた坂口安吾に、「文学のふるさと」という短いエッセイがある。安吾によれば、モラルがあって初めて成りたつはずの童話のなかで、まったくモラルがないように見えるものが存在する。例えばシャルル・ペローの「赤ずきん」がそれだ。安吾はこの有名な物語を、童話としてではなく「文学」として読んだ。「大人の寒々とした心」で「むごたらしい美しさ」を感じとり、その美しさに強く打たれた。

愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐な少女が、森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、しかし、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。

 

カレル・チャペックは、世界へのペシミズムと個人の幸福のあいだで、色とりどりの「ふるさと」を創りあげた。だから読者は、彼の作品を通してたくさんの「ふるさと」に触れることがきる。けれども僕にとってのカレルは、なにより安吾がいう「文学のふるさと」の、偉大で悲劇的な里親だ。

 

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須藤輝彦(すどう・てるひこ)

1988年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍(現代文芸論研究室)。ミラン・クンデラを中心に、チェコと中東欧の文学を研究しています。最近の論文「亡命期のクンデラと世界文学」(『れにくさ』第8号、2018年)、エッセー風短篇「中二階の風景」(『シンフォニカ』第2号、2016年)、留学記「中空プラハ」(http://midair-prague.blogspot.jp)など。


<チャペック展情報>

ヨゼフ&カレル・チャペック兄弟の、子どもをテーマにした作品に焦点を当てた展覧会「チャペック兄弟と子どもの世界」が芦屋市立美術博物館にて開催中です(2018年9月9日まで)。
https://ashiya-museum.jp/

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この記事を書いた人

チェコセンター東京

チェコセンターは世界22ヶ国24都市においてチェコ文化の普及につとめているチェコ外務省の外郭団体です。2006年10月にアジアで第1号のチェコセンターとして、駐日チェコ共和国大使館内にチェコセンター東京支局がオープンしました。

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