ある実業家の理想郷ズリーンへ

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機能主義建築が建ち並ぶ

「バチャBata」というチェコ発祥のシューズメーカーをご存知でしょうか。
あいにく日本ではあまり知られていませんが、1894年創業の老舗メーカー兼小売店で、今日も世界中に広く製造・販売網を展開するカジュアルシューズの一大ブランドになっています。

会社のウェブサイトによれば、今日も変わらず家族経営を継続しており、世界中に展開する5300店舗を訪れる買い物客は、1日あたり合計100万人以上。従業員は3万5000人を数え、5大陸に渡って23もの自社による生産拠点を構えている、文字通りのグローバル企業です。

現在の本社機能はスイスのローザンヌに置かれているものの、会社の原点といえるのは、かつて本社や工場が集約され、周辺の各地から働き手がこぞって移住した、モラヴィア地方東部の街ズリーンです。ズリーンの街の発展は、バチャの会社の発展とともにあり、両者は今日まで、切っても切れない関係にあるのです。

今回は、機能主義スタイルの建築物が建ち並んで独特の景観が展開する、かつての企業城下町にみなさまをご案内したいと思います。

赤レンガで彩られたコンクリート製のシンプルなビル群は、バチャの靴工場の跡。ズリーン中心部にて。

バチャ(Bata Corporation)の創業者は、ズリーン出身のトマーシュ・バチャ。家族は代々、靴職人として生計を立てていました。チェコスロヴァキアの独立が1918年ですので、まだチェコがオーストリア-ハンガリー帝国の領土に組み込まれていた時代のことです。

トマーシュ・バチャが兄弟姉妹とともに立ち上げた会社が飛躍するきっかけとなったのが、1897年に発売された最初の量産品の「Batovky」でした。
キャンバス地をメインに、要所要所に皮革を使ったこの靴は、革製の靴が主流だった当時、その軽快なスタイルが、主要なマーケットである労働者層に熱烈に支持されたのでした。またアメリカに習った大量生産システムを取り入れた点にも先見の明を感じさせます。

基点はオトロコヴィツェ

わずか10名の労働者でスタートしたバチャの会社は急拡大し、1905年には日産2200足の生産量を達成してヨーロッパ最大のシューズメーカーに成長しました。さらに1912年には600名以上の労働者を抱える大企業へと姿を変えています。

この急成長にともないトマーシュ・バチャは、本拠地ズリーンに多くの工場を建設するとともに、移住してきた労働者のために住宅のみならず、学校、病院、図書館、映画館、レクリエーション施設などの生活インフラも整備しました。ズリーンの街はあたかも、創業者の夢を地上に具現化した理想郷となっていったのです。

ズリーンの市長まで務めたトマーシュ・バチャは、1932年、ズリーン近郊で航空機事故により物故。会社の経営は、血のつながらない弟のヤン・アントニン・バチャに引き継がれました。

バチャの会社が急増する自社労働者のために整備した住宅街は、一棟の内部が左右対称となったセミ・デタッチド・ハウスが主体。今日は分譲住宅として一般市民が住む。

さて、ズリーンはプラハから約310キロ、ブルノから約110キロ離れており(いずれも直線距離ではなく、鉄道での所要キロ)、鉄道で訪問する際には、いったんオトロコヴィツェOtrokovice駅を経由することになります。

ズリーンへの玄関口オトロコヴィツェ駅。駅前広場のモニュメントによると、東京まで9002km離れていることがわかる。

オトロコヴィツェは、モラヴィア地方のプシェロフPřerov~ブジェツラフBřeclav間を結ぶ幹線上に位置しており、北はポーランドのワルシャワから、南はオーストリアのウィーンやスロヴァキアのブラチスラヴァから、それぞれ国際特急ユーロシティも乗り入れています。また首都プラハからも直通列車が乗り入れます。一方、ブルノからは、時間帯にもよりますが、いったんブジェツラフに出て北上する列車に乗り継ぐパターンが多いようです。

オトロコヴィツェからズリーンへは10キロほど。気動車に乗り換えて、非電化区間の支線をゆっくり走ります。この間の所要時間は16分程度となっています。

オトロコヴィツェ駅に到着したブダペスト発ブラチスラヴァ経由、ワルシャワ行きのユーロシティ。
ユーロシティの牽引機関車はチェコ鉄道所属。引っ張られる客車は機関車のすぐ後ろがポーランド、次いでハンガリー、さらにポーランドのものと実に国際色豊かな編成。

プラハからの直通列車も走る

さて、ズリーンをめざす気動車は、右手車窓にトロリーバスが行き交う大通りを眺めつつ、軽やかなエンジン音を立てながら単線区間を快走します。
市域の広いズリーンでは、この支線の沿線に、ズリーンの名前を冠した鉄道駅がいくつもありますが、ズリーン中心部の最寄り駅は「ズリーン中央駅Zlín střed」。初めて訪れる際は、間違えて手前で降りてしまわないように注意が必要です。
またこれらの途中駅は、乗降客がなければ徐行して通過するという、バスのような運行形態をとっています。

ズリーンに向かう際はオトロコヴィツェで普通列車に乗り換え、単線の支線に入っていく。
オトロコヴィツェ~ズリーン間で活躍する844形気動車はポーランド製。先頭形状からRegio Sharkの愛称で親しまれている。
国際列車の行き交う本線から外れ、支線に入ってズリーンに向かう普通列車をオトロコヴィツェ駅のホームから見送る。
オトロコヴィツェ駅からズリーン中心部まではトロリーバスも利用できる。
乗り継ぎ時にオトロコヴィツェ駅で食事にするなら、駅前のハーレー・パブHarley Pub([URL]www.harleypub.com)がおすすめ。ビールの醸造所を併設しており地元客で常ににぎわうパブ兼レストラン。
ハーレー・パブのおすすめメニューが300gのハンバーグ・ステーキを挟んだ特大のビッグ・バーガー。

さらにプラハ本駅とズリーン中央駅との間には、1日1便、直通列車の「ズリーンスキー・エクスプレスZlínský expres」が走っています(列車種別は快速列車リフリークR)。運行区間はプラハ・スミーホフ駅を基点にプラハ本駅、パルドゥビツェ、オロモウツ本駅を経由してオトロコヴィツェ~ズリーン中央駅に至るというもの。プラハ~ズリーン間約311キロを、3時間30分ほどかけて結んでいます。

このズリーンスキー・エクスプレスですが、2018年12月現在のダイヤでは、下り列車がプラハ本駅18時58分発ズリーン中央駅22時26分着、上り列車がズリーン中央駅5時31分発プラハ本駅9時4分着。ズリーンに深夜に到着、そして早朝にズリーン出発と、旅行者にはやや使いにくい時間帯ではありますが、車内販売も利用できる旅客列車で、ゆったりのんびり汽車旅を満喫するのもよいものです。

周囲をかつてのバチャの工場の建物に囲まれたズリーン中央駅。

さあ、無事にズリーン中央駅に到着しました。
次回の記事では、ズリーンの主な見どころをご紹介したいと思います。

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この記事を書いた人

戸部 勲

毎年ヨーロッパのあちこちの鉄道に乗って取材して、鉄道旅行の楽しさを伝えるムックや書籍を作っている、イカロス出版の編集部員です。
チェコ共和国の旅客鉄道は日本同様、予約なしで気軽に利用できる公共交通手段。ローカル線から長距離列車、高速列車から夜行列車、国際列車まで、さまざまな種類の列車が走っています。
鉄道旅行の魅力は、住人目線で旅ができること。チェコの魅力にはまってリピーターになって、「もっと深くチェコを知りたい」、「もっとディープな旅がしたい」という想いを抑えきれなくなったら、ぜひプラハ本駅から鉄道に飛び乗って、風任せの自由気ままな旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。