アントニーン・ドヴォジャーク 記念館(Antonín Dvořák Memorial)

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ヴィソカー村のアントニーン・ドヴォジャーク記念館へようこそ

中央ボヘミアの村ネラホゼヴェスは、小さくてのどかながらもとても有名な人を輩出しています。ここで世界中が崇拝するチェコの作曲家、アントニーン・ドヴォジャークが生まれました。彼の作品は聞く人をその美しさ、詩的さ、そしてメロディの情感の豊かさによって魅了します。

ドヴォジャークは人生において、ドイツ、オーストリア、イギリス、そしてアメリカと住んだ先々で称賛されてきました。特にアメリカでは2年半ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長として迎えられました。こういった経験から得た感情や印象を、彼の作品の中でも有名な交響曲第9番「新世界より」に収めました。この曲はニール・アームストロングが月へ行ったときに持っていったことでも知られています。このことは交響曲第9番「新世界より」がいかに素晴らしい作品かを意味しているでしょう。

アントニーン・ドヴォザーク記念館

彼の作曲の基本的な根幹は人々の知恵、伝説、おとぎ話にあります。中でもボヘミアの風景からたくさんのインスピレーションを得ています。友達に宛てた手紙の中でドヴォジャークは「ここではとても幸せを感じる」と書いています。「ここ」とは一体どこなのでしょうか。それは中央ボヘミアのヴィソカーという村です。ヨゼフィナ・コウニツォヴァーという、ドヴォジャークの昔の恋人であり仲のよい友人でもあった女性(ドヴォジャークの妻アンナの姉)が、この村に彼とその家族を招きました。彼女はこの村に、夫であるヴァーツラフ・コウニツ伯爵から婚姻のプレゼントとしてもらったネオ・ルネサンス様式のシャトーを持っていました。

ドヴォジャークはそのシャトーと周辺の様子を一目で気に入り、義理の兄から村の反対側にある庭付きの農場を買い取ることを決めました。のちにそこを住むための家として改築し、彼の死後も「ヴィラ・ルサルカ」と呼ばれています。その後20年間、一家はここで毎年夏を過ごし、ヴィソカー村はドヴォジャークの作曲家としての円熟とピークの時期と深く結びついています。

アントニーン・ドヴォザーク記念館 室内の様子

ヴィソカー村ぐらいドヴォジャークと共にあった場所はほかにはありません。そこでシャトーはドヴォジャーク記念館に作り変えられました。おとぎ話のような美しい公園と池に囲まれたこのシャトーと一家が夏をすごしていたヴィラ・ルサルカ、そして周辺の風光明媚な風景はドヴォジャークにとってまさにプライベートな楽園でした。現在ではこの場所は観光客の楽園となっており、記念館には、シャトーの元々の持ち主であるヴァーツラフ・コウニツ伯爵と妻のヨゼフィナ・コウニツォヴァーについての常設展およびドヴォジャークのヴィソカーでの滞在と彼の作品についての展示があります。いくつかのオペラの初回公演のステージセットのモデルと、彼の最も称賛された有名な作品であるオペラ、ルサルカの衣装の展示もあります。

アントニーン・ドヴォザーク記念館 室内の様子
アントニーン・ドヴォザーク記念館 公園

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