チェコスロヴァキア軍団と日本
日本にはチェコスロヴァキア兵士のお墓がある
チェコと日本は地理的に遠く離れていて、相互にそれほど深い歴史的な関わりを持って来なかったので、チェコで日本人が、または日本でチェコ人がどのような足跡を遺してきたかを辿ろうとしても、そういう例はそれほどたくさんあるわけではありません。最も有名なのは、現在いわゆる原爆ドームとして保存されている、チェコ出身の建築家ヤン・レツルが設計した旧・広島県産業奨励館の建物でしょう。関東近辺にも、これもチェコ出身の建築家アントニーン・レイモンドが設計した星薬科大学(品川区)の大講堂のような例がありますが、これは大学の敷地内にあるので、部外者は立ち入り禁止です。そんな中、誰でも訪問できる記念碑が、東京都の府中市にあります。
チェコスロヴァキア軍団の足跡

それは、カトリック府中墓地(東京都府中市天神町4-13-1)にある、チェコスロヴァキア軍団の5人の兵士たちのお墓です。チェコスロヴァキア軍団とは、今からおよそ百年前、第一次世界大戦の時にロシアで闘っていたチェコ人とスロヴァキア人からなる軍隊で、ロシア革命が勃発したために西進して故郷に帰れなくなり、シベリアから日本、アメリカと通って、ほとんど地球を一周して故郷へ帰り着いた兵士たちです。その帰還の途中、日本で病死した兵士たちが、この府中の墓地に眠っているのです。
なぜこのお墓が建てられたのか?
このお墓は、もともと青山墓地に建てられました。このページのトップの白黒の写真は、当時撮られたものです。多くの軍人が関わっていたのかがわかります。ところが、チェコスロヴァキアが社会主義国になって、チェコスロヴァキア軍団に言及することがタブーになると、お墓の在処も忘れ去られていきました。1989年に社会主義体制が倒れ、1993年にチェコとスロヴァキアが分離してしばらく経ってから、チェコの国防省がお墓の存在を確認しようとしましたが、青山墓地の中を探し回っても、見つけることができませんでした。その後、管理事務所で調べてもらったところ、兵士たちのお墓はあるカトリック修道会の区画にあり、それは数年前に府中のカトリック墓地に移されたことが確認できたのです。そこで、大使館ではそのカトリック修道会、また東京の大司教区ともお話しをして、そのご好意によって敷地の一部にお墓を新たに建てることが出来るようになりました。

上の写真は新しく建ったお墓の様子です。兵士たちの名前と生没年とともに、”Těm, kteří nedostali do osvobozené vlasti”「解放された祖国へ帰還しえなかった彼らに捧ぐ」という文字が刻まれています。
「マイラー」のすすめ

このお墓の除幕式は、2015年の12月に、マルチン・ストロプニツキー国防大臣(当時)や安全保障委員会の国会議員、チェコとスロヴァキアの駐日大使も臨席して行われました。その後、チェコから要人が来日するたびにお墓参りが行われています。日本では、お墓参りを好んでする人を指す「マイラー」という言葉がありますが、チェコに興味がある人はこの「マイラー」になり、このお墓の前でおよそ百年前に異国で亡くなった兵士たちに思いを巡らせてみてはどうでしょう? お墓は、カトリック府中墓地の南西の隅の一画にあります。