『湖』の作者ビアンカ・ベロヴァー氏からみた日本

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チェコの権威ある文学賞であるマグネジア・リテラ賞、EU文学賞を受賞し、2017年のスザンナ・ロート翻訳コンテストの課題ともなった小説『湖』
今年4月に邦訳が河出書房新社から出版され、早2か月が経ちました!

今回は『湖』の作者であるビアンカ・ベロヴァー氏に、4月末の出版記念イベントのために来日された際の体験や感じたことをエッセイにしていただきました。
実はベロヴァー氏の来日はこれが二度目。滞在中、日本にどんな印象を持たれたのでしょうか?

『湖』詳細はこちら http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207674/

京都での家族写真

ビアンカ・ベロヴァー「診断結果――日本中毒」

頭しか見えない人混みのなかで、運命的な人と視線を交わしたときのあの感覚がわかるだろうか? 言葉を交わしたことさえないというのに、その人のもとに思わず戻り、なにかかけがえのないことをする。もしそうしなかったら、死ぬまで後悔するにちがいないというあの感覚。犬のケージに近づくと、わんぱくな子犬が勇気を振り絞ってあなたに鋭い眼差しを投げかける。するとすぐさま、あなたはその虜になってしまう。そのときの感覚がわかるだろうか? ずっとあなたにじゃれついているので、その子犬を家に連れて帰らずにはいられない。すると、もう家族という代わりのきかない一員となり、あなたの生活を一変してしまう。

同じ感覚を抱いたのは、私がはじめて成田空港で日本の土地に足を踏み入れたとき。その気にさえなれば、視線を投げかけるだけで、「日本」は私の頭をまっしろにし、欲しいという気持ちを死ぬまで抱かせる。それは、言葉にできない和音のようなもので、私たちの心の奥深くまで響くと、ずっと反響しつづける。どういう音の組み合わせなのかは、思いをめぐらせるだけ。

もしかしたら、日本のありとあらゆるものは、強烈な対比から成り立っていて、対立する力と力がたえずバランスをとっているのかもしれない。千年を超える伝統、永続するものへの敬意、古きものへの愛、変わることのない宗教儀式、不可侵な天皇制、歌舞伎、茶道、寺院。同時に、最新のテクノロジー、モダニティへの熱狂。日本は、変革的な建築プロジェクトを実現することに躊躇しない、おそらく唯一の民主主義国家のひとつだろう。ピュリスムやシンプルなデザインがある一方で、アニメやマンガといった現象のキッチュさ。集団に見られる圧倒的な豪華絢爛ぶりに対する個人の謙虚さと慎ましさ。

 

私が日本で魅了される現象はまだまだ数多くあり、発見すべきものもまだまだある。

たとえば、友人たちと京都の競馬場を訪れたときのこと。近くに坐っていた日本人男性が、面識がないのに、私たち全員(二〇人ほど)に千円札を一枚ずつ手渡したのだ。あるレースを当て、相当の金を稼いだときはいつもそうするのだという。なにかの誤解じゃないかと五分ぐらいかけてその人とやりとりをしたが、しまいにはお金を受け取ることになった。そう、それは、私たちが慣れ親しんでいる慣習とはあまりにも異なるものだった。

もうひとつ興味を惹いたのは、日本の子どもたちが怒らないということ。幼い子どもがかんしゃくを起こしたり、泣いている姿はまったく目にしなかった。日本の子どもたちは落ち着いていて、バランスが取れている。もちろん、世界中のどこの子どもたちと同様に、元気に駆け回ったり、遊んだりしている。東京で見かけることができるような、四、五歳の子どもがひとりで帰宅するそんな大都市は、今やほとんどない。日本の子育てのノウハウはどういうものなのか、率直に関心をもった。

チェコ語には、「愛は胃から始まる」という表現がある。おそらくこれは日本を語るときに、あてはまるものだろう。もし死刑を宣告され、最後の食事を何にするかと尋ねられたら、私は迷うことなく、刺身、餃子、天ぷら、うどん、それから和牛ステーキのグリルをお願いし、締めに餅を頼むはず。そうすれば、何の悔いもなく処刑台に向かうことができる。そう、和食を食べつくして死ぬことができたら、それはもう映画『最後の晩餐』のように美しい死となるはず。

 

それから、作家という観点から、日本でもっとも惹きつけられたのは日本の読者のみなさん。今回の二度目の日本滞在は、私の小説『湖』の日本語訳(そう、もう一度繰り返します、信じられないことに「日本語訳」が出たのです)が刊行されてまだ一週間ほどしか経っていないというのに、東京でも京都でも、私の本をもう読み終えた読者がいて、刺激的で鋭い質問やコメントをしてくれたのです。そればかりか、事前にイベントを予約し、参加費を支払い、メモを取ってくれる(これには落ち着きませんでした、というのも、私が話す内容の99%はメモを取るに値するものではないからです)。そして何よりも、まだ本を買っていない人は皆、その場で本を買ってくれる。これは、世界の他の場所では叶えることのできない、作家の夢とでもいうべきものです。

そして、最後に触れずにいられないのは、財布を取り出すことは許してくれない日本の友人たちのありえないような歓待。それに献身ぶりと優しさ。そして、とりわけ親愛なる翻訳者、阿部賢一。かれがいなければ、日本という惑星を知ることもなかったはず。

 

追伸、二度目の日本滞在にあたって、夫も連れていきました。かれも、私と同じ病に罹ったようです。

 

夫でありミュージシャンのアドリアン・T・ベル氏と、競馬場にて

(翻訳 阿部賢一、藤井萌)


『湖』http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207674/
まだ、いけにえが足りないんだよ――湖から戻らなくなった祖父。そして少年ナミは母を探し旅立つ。気鋭のチェコ女性作家が描く現代の黙示録!
マグネジア・リテラ賞、EU文学賞受賞受賞。  

作者 ビアンカ・ベロヴァー Bianca Bellová
1970年プラハ生まれ。2009年「Sentimentální román」でデビュー。

16年に本作で、チェコで最も権威のあるマグネジア・リテラ賞、EU文学賞を受賞し、世界的に注目される。

訳者 阿部 賢一
1972年東京都生まれ。東京大学准教授。

著書に『複数形のプラハ』『カレル・タイゲ』、訳書にフラバル『わたしは英国王に給仕した』、オウジェドニーク『エウロペアナ』など。

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この記事を書いた人

チェコセンター東京

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